誤訳
2026年07月13日
ビートルズが羽田に降り立って60年になる。週刊新潮7月9日号に掲載された、当時の音楽ディレクターの対談記事が興味深かった。自身が邦題をつけたという、代表曲の一つ「ノルウェーの森」について、原題の「ノルウェジアン・ウッド」は、本来「ノルウェー製の家具」と訳すべきだったと告白。「あの誤訳は僕の最大の〝業績〟かもしれない」と笑ったそうだ▼その誤訳の邦題は、村上春樹さんのベストセラー小説『ノルウェイの森』の題名にも使われ、日本では独自の世界観を形づくった。元ディレクター氏が「業績」と自賛するのもむべなるかなであろう。だが、こちらの「誤訳」は、少々趣が違う▼インドを訪問した高市早苗首相は、モディ首相から「美しい妹」と呼ばれたと披露した。しかし朝日新聞によれば、モディ氏のヒンディー語発言は「私の妹である高市首相」。インド側の英訳にも「美しい」に当たる言葉はなかったという。政府側は、ヒンディー語から英語、さらに日本語に訳すリレー通訳での「誤訳」と説明している。なかったはずの形容詞が都合よく一つ足されたというのに、である▼首相への忖度が働いたのではないか。そんな疑義も湧く。しかも「妹」と呼んでほしいと伝えたのは高市氏側だったという。安倍晋三元首相がモディ氏を「兄」と呼んだ関係を、自らにも重ねたかったのだろう。首脳外交に親密さの演出はつきものだ。だが、言葉が盛られれば、演出は空回りする▼「ノルウェーの森」は誤訳とはいえ、新たな風景を生んだ。だが「美しい妹」は、首相外交の言葉の軽さを露呈したようでもある。国と国を結ぶのに、聞こえのよい形容詞はいらない。必要なのは、相手の言葉を正確に受け止める誠実さである。森は深まったが、こちらは底の浅さが見えてしまった。(熊)


