大分建設新聞

四方山

日記

2026年07月06日
 日記ほど、私的なものはない。人に読ませる気で綴る者など、まずいまい。だからこそ、そこには飾らぬ本音が宿る。時に、その私的な記録が表に出ることもある。例えば、昭和天皇の側近中の側近として知られた木戸幸一の日記である。敗戦後、天皇の戦争責任が問われかけた東京裁判で、その日記は、天皇が開戦を望んでいなかったことを示す有力な証拠となった▼自身の日記を提出するにあたり、木戸自身相当な葛藤があったと伝わる。私的な事柄のみならず、自身にとっては不都合な記述も含まれているからだ。それもあって当の木戸には終身禁固が下された。政治家の日記は時に、歴史の証言台にさらされる好例であろう▼昨秋亡くなった村山富市元首相の日記が、大分市の自宅で見つかった。首相在任中の1995年1月の日記で、阪神大震災が起きた17日の記述もある。倒壊家屋の下から助けを求める人々に寄せる思いや、防災体制の見直しを痛感したことが記されていた。そして、こう書き残していた。「総ての責任はもつ」▼思えば、震災では初動の遅れを批判され、オウム事件などにも直面し、在職は561日で終わった。社会党の村山氏が、自民、さきがけとの3党連立の中で率いた政権である。足元は常に揺れていた。それでも、日記に残った言葉には、責任を引き受ける覚悟がにじむ▼ひるがえって、衆院で圧倒的多数を握る高市早苗政権である。数の上では、村山政権とは比べるべくもない。ところが、その国会が空転している。与野党の対立は深まり、高市首相が予算委審議への出席に難色を示していることも一因と指摘される。多数があっても、熟議は進まない。時あたかも、九州北部では大雨への警戒が強まっている。災害は待ってくれない。村山氏の残した一文は今も重く響く。(熊)
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