大分建設新聞

四方山

怨親平等

2026年05月21日
 無音の映像なのに、爆音が聞こえるようだった。米国立公文書館に眠っていた80年以上前の戦場が、テレビ画面に映し出された。宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」が発掘し、公開したフィルムである。炎を吹き上げながら米空母へ突入する日本軍機。別の映像には、終戦のわずか5日前、機銃掃射を受ける町の姿が映し出されていた。音がないだけに戦争の底冷えするような現実が胸に迫る▼当時の日本は、物量で圧倒的に勝る米軍相手に、絶望的な戦いを繰り広げていた。特攻に向かった若者の中には、十代の少年兵もいた。四散する機体、白煙を上げる町。そこに映っているのは、勇ましい戦闘シーンなどではない。かけがえのない命が戦争という歯車に容赦なく押しつぶされていく姿だった▼そんな映像に接した後だけに、中津市の八面山で営まれた慰霊式典の記事が、いっそう重く感じられた。太平洋戦争末期の1945年5月、八面山上空で日本軍機が米軍のB―29爆撃機に体当たりし、日米双方で計12人の兵士が亡くなった。墜落現場近くに整備された平和公園には、日米両国の国旗を描き、十字架をはめ込んだ「名誉の碑」が建つ▼こう刻まれている。「われらここに死す」。敵も味方も「われら」という一語の中に包み込まれている。園内の平和塔は、戦死した米兵11人の出身州の石でこしらえられたという。敵国だった兵の故郷の石まで招き寄せ、同じ山に鎮める。まさに『恩讐の彼方に』である▼底流にあるのは、仏教でいう「怨親平等」の思想であろう。敵も味方も、等しく弔う。それは過去を水に流すことではない。憎しみの連鎖を断ち、二度と敵をつくらぬための智恵であろう。その先にあるのは、むろん「平和」である。もの言わぬ碑の声もまた、きな臭い時代に、いっそう深く響く。(熊)
名鑑CDバナー
取材依頼はこちら
事業承継プラザ 切り替え
arrow_drop_up
TOP