よみがえれ七島藺
2026年05月18日
子どものころ、数年に一度、畳屋さんが家の畳を張り替えに来ていた。その時のプーンと香る青々しい草の匂いが好きだった。最近は住宅の洋風化などで畳が減り、あのいい匂いを知らない人が増えているのは残念だ▼その畳表やゴザに使われているのがイ草。茎の長い植物で温度調節や空気清浄の機能もあって重宝されてきた。主に熊本県で栽培されているが、今や中国などの海外産が大部分という。そのイ草が広まる前、江戸時代から戦後間もなくまで、畳表の材料として広く使われていた七島藺をご存じだろうか▼イ草よりも丈夫で、今でも講道館など柔道の畳として使われている。しかし安価なイ草に取って代わられ、今では全国でも国東市などでわずかに栽培されているだけ。その七島藺だが、江戸時代から豊後の国(大分県)が国内の栽培中心地だった、というのはあまり知られていない。17世紀、七島藺を豊後にもたらしたのは、府内藩(大分市)の豪商で、琉球に密航し栽培が盛んだったトカラ列島から苗と栽培法を持ち帰った▼豊後の各藩は栽培を奨励し一大産地になったという。特に別府湾岸の大分市、杵築市、日出町、国東市などが盛んで、大分市では戦後しばらくまで、稙田、元町、下郡、滝尾、光吉など広い地域で栽培。当時を知るお年寄りは「雨が降ると、干した七島藺が濡れないよう取り入れを手伝っていた」と語る▼半世紀以上も前に栽培が途絶えたのだが、なんと!最近になって市近郊の大分川河川敷で自生している〝生き残り〟の数株が発見された。市内錦町、来迎寺の総代長、宗公一郎さんが檀家から株を譲り受け寺の境内で育てている。株分けして県立芸術文化短期大学の構内でも栽培実験が始まった。途絶えたはずの「大分市・七島藺」の新たな歴史が動き始めた。(マサ)



