ネオン街都町
2025年10月10日
早朝ウオーキングで思わぬ体験をした。暑かった8月の土曜日、その朝は大分市の城址公園周辺を散歩した。ちょっと足を延ばして、昔よく通った都町のネオン街に入った午前6時ごろのこと。街角に立っていた女性からたどたどしい日本語で声を掛けられた▼「オニイサン、ヨッテイカナイ?」「3000円デイイヨ」。えっ!びっくり仰天!「まだ」と言うか「もう」と言うか、時間は朝の6時である。「凄いねえ。まだ頑張ってるの?」と聞くと「ドヨウビワネ~」「オミセ、モウチョットネ」とのこと。丁重にお断りしたが、つい「頑張ってね」と激励してしまった▼県都最大のネオン街、都町。昭和の前半までは旧町名が「魚町」「茶屋町」「細工町」などで、漁師や商人、職人ら庶民の町だった。昭和30年代には住宅や商店、旅館、町工場、寺などが混在していた▼そして、昭和40年代からはネオン街として急速な発展を遂げる。大分市が新産業都市の指定を受け、臨海工業地帯に九州石油、新日鉄などの大企業が次々に進出。夜の接待も盛んで街は急成長し、昭和の後期には料飲ビル、飲食店がずらりと立ち並び高級料亭もあった▼だが、バブルがはじけた平成の初めごろからは景気の低迷が続き、かつての元気が徐々に失われていった。最盛期には2千軒近くあった店も今では半分以下に減少。先のコロナ禍は大打撃で、200軒近くが閉店したらしい。そして今は原材料費の高騰にも苦しんでいる▼居酒屋、スナックなどネオン街の灯りは単に夜のにぎわいを提供するだけではない。地域経済の循環を支え、多くの人々に笑顔と安らぎを届けている。ネオン街の繁栄ぶりはその地域の経済活性、元気のバロメーターでもある。今夜は友達を誘って都町に出掛け、カラオケの1曲でも歌って応援しよう。(マサ)