確かな証拠
2025年08月19日
外交の舞台には「紙に残さない約束」がつきまとう。握手で済ませたつもりが、やがては国家を揺るがす火種ともなる。歴史をひも解けば、文書に残さなかった「口約束」が後に大問題へと発展したことがある。典型は沖縄返還を巡る1969年の「核持ち込み密約」であろう。沖縄返還後も「有事の際には核兵器を再持ち込み可能」との合意があったとされる▼日本政府は長年否定し続けたが、米公文書館の情報開示で事実が暴かれると、結局「なかった」ことにはできなかった。政府の不実は国民の不信を招いた。その伝統再びと思わせるのが、今夏の日米関税交渉である。当初赤沢亮正経済再生担当相は「特例措置が適用された」と胸を張ったが、実際に発動されたのは一律15%の上乗せだった▼慌てて再びワシントンに飛び、「米側の誤解」と釈明を受けたとしたものの、是正の時期は示されていない。肝心の文書も交わされず、実効性は宙に浮いたままである。赤沢氏はラトニック商務長官を「ラトちゃん」、ベッセント財務長官を「ベッちゃん」と呼び親密度をアピールするが、大丈夫なのかと首をかしげざるを得ない▼親しげな呼称で距離を縮めたつもりでも、交渉は一筆を残してこそ効力を持つ。外交は友達づきあいではない。それどころか〝わが友〟の「ベッちゃん」「ラトちゃん」から、「赤ちゃん」扱いされているのではないかと、心配にもなる▼外交の舞台は、心地いい子守歌を歌ってはくれない。国益と国益がぶつかり合う武器なき戦いであろう。求められるのは笑顔や愛称のやり取りではなく、将来に残る明確な合意文書だ。沖縄返還の核密約がそうであったように、記録を軽んじれば、やがて国益を損なう。国民が本当に望んでいるのは、親しさの演出ではなく、確かな証拠である。(熊)