戦後を刻む道
2025年08月08日
静かな祈りの夜だった。7月30日、大分市の平和市民公園で開かれた「ムッちゃん平和祭」。戦時中、防空壕で亡くなった少女を悼み、約400基の灯籠に明かりがともされ、約1000人の来場者が戦時中の悲劇に思いを寄せた。今年は戦後80年の節目の年である。戦争体験者が少数派となったいま、こうした灯火は、継承に向けた取り組みの象徴であろう▼「日本軍が沖縄の住民を殺したわけではない」「中国大陸への侵略はウソ」―。先の参院選で躍進した政党の代表が繰り出した発言は、歴史の事実を歪め、「信じたい物語」だけを正義とする危うさをはらむ。かつて沖縄戦で何があったか、中国で何がなされたか。生存者の証言や公的記録は明白な史実を突きつけている▼「戦争を知っているやつが世の中の中心にいる限り、日本は安全だ。だが、知らないやつが中核になったとき、怖いなあ」。藤井裕久元財務相の回顧録によると、田中角栄元首相は生前そう語っていたという。記憶を手放すことは、歴史の過ちを繰り返すことにつながる。角栄のような「戦中派」の警句が、今ほど重みを持つ時代もないであろう▼世界を見渡せば、ウクライナ、ガザ、台湾海峡…。憎悪の連鎖と紛争の火種。これまでの戦後秩序は崩れ、保護主義、覇権争いが露骨になってきた。何より怖いのは「敵」を必要とする空気が、知らず知らずのうちに私たちの社会をむしばんでいることだろう▼戦後80年とは平和を当たり前と思ってきた時間でもある。だがその裏には、320万人の命が失われた民族の悲劇を踏まえての反省があった。灯籠の火は小さい。けれどもその小さな火が、嘘や無関心の闇を照らす力になる。歴史の修正を疑い、冷静に考え続けること。その営みの先にこそ、「戦後」を刻む道があると信じたい。(熊)