長嶋伝説
2025年06月10日
人が通った後に、物語が残る。そして、人々の記憶とともに、その土地に根ざしたものが伝説と呼ばれるのだろう。弘法大師・空海が旅した足跡は、いまも各地に息づいている。別府の永石温泉もその一つ。大師が日照り続きの中、この地を訪れた。そんな大師に、老婆が貴重な水を恵んだ。感激したのだろう。大師はやおら石を投げ、落ちたところから湯が湧いた▼「永石」の地名は「投げ石」が転じたと言われる。どうせなら水が湧いてくれた方が老婆も喜んだろうに…と思ってしまうが、理屈抜きに、慈悲深い大師がその土地を訪れたという事実が貴いのだろう。それゆえに伝説として1000年の時を超えて語り継がれている▼プロ野球ファンのみならず多くの人から「ミスター」として愛された長嶋茂雄さんが旅立った。この人もまた、各地に物語の種をまいた。ダイナミックなプレー、魅せる野球に徹した現役、監督時代の話も印象深いが、2004年に脳梗塞で倒れ、リハビリ生活に入ってからがこの人の真骨頂だったような気がする▼「日刊スポーツ」5日付紙面の記事から紹介したい。常連だった宮崎市内のうどん店での話だ。10年ほど前、店の主人が亡くなり、知らせを聞いた長嶋さんがやってきた。「店をつないでくれよ」と、店を続けるかどうか悩んでいた妻を励ましたという。本人は、右半身にまひが残る不自由な体にもかかわらず、である▼監督時代は老眼鏡をかけた写真の撮影は禁止だった。格好悪い姿は見せない。それが長嶋流の美学だった。だが、リハビリ後はその体を世間にさらし続けた。「『勇気づけられた』という声をいただいたので」。方針転換の理由についてそう話したという。人の心に深く寄り添った姿が各地で語り継がれている。これもまた、長嶋伝説であろう。(熊)