大分建設新聞

四方山

名もなき誇り

2025年03月21日
 日本百名橋の一つに数えられる中津市の耶馬渓橋。山国川に架かる日本最長の石造アーチ橋は1923年に完成した。8連アーチの美しい景観は全国に知られ、2022年に国の重要文化財に指定された。翌23年7月の集中豪雨のため欄干が流失し通行止めが続いていたが、復旧工事が完了し1年8カ月ぶりによみがえった▼その500㍍上流にあるのが「青の洞門」。山国川に面してそそり立つ競秀峰に掘られた隧道は、菊池寛の『恩讐の彼方に』の舞台として有名だ。人を殺め、それを悔いて出家した僧了海が20年余かけ、最後は了海を敵として狙う若侍とともに、黙々と掘り続けたことになっているが、これは小説上の創作だ▼歴史的事実は、禅海という僧が1735年に掘削の誓いを立て、30年かけて完成させた。といって、禅海一人が掘ったわけではなく、彼が托鉢し資金を集め、石工を雇い、難工事を成し遂げた。禅海はいわば施主であり、実際に工事を担ったのは石工たちだった。だが一人としてその名前は伝わっていない▼人を寄せ付けない断崖絶壁の地である。命がけの工事だったはずだ。安全に対する意識が乏しかった時代のこと、いまふうに言えば労災事故もあったことだろう。一方で、工事が完成しなければ、当然ながら禅海の名は残っていなかった。そんなことに思いを巡らすと、今も称賛される僧の背後から、何人もの名もなき石工たちが立ち上がってくる▼今の時代も、礎石や銘板に刻まれるのは施主の名だ。現場で汗を流す作業員の名が振り返られることはない。だが、工事に携わった誇りは、一人一人の心の中に宿る。大分労働局の集計によると、昨年の労災死亡事故はゼロだった。統計が残る1973年以降、初めてという。「事故ゼロ」もまた、私たちの誇りのよりどころだ。(熊)
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