見えない内部構造
2024年06月20日
大分市の府内城跡。三の丸跡には市役所、県庁が置かれ、市民だけでなく、大分県民のシンボルの一つといっても過言ではあるまい。関ヶ原の戦い(1600年)の3年前に築かれ、その後、豊臣秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛の一族に連なる重利の手で城郭として整備が進められた。壮麗な天守閣が築かれたとも伝わるが、1743年の大火で大半が失われた▼その府内城跡で大発見だ。城壁の構造が土塊と土を交互に積み重ねられ、その表面に漆喰が塗られるという独特の工法で作られていたことが分かった。通常は盛り土と漆喰の間に、竹を格子状に組んだ「下地」が置かれることが多いが、そのような施工は行われていなかった。朝日新聞6月13日付県版によると、ほかに類例はないという▼白い漆喰で覆われている城壁。内部構造をうかがい知ることなどなかなか難しいが、昨年7月の豪雨で城壁の一部が倒壊、修復調査の過程で分かった。その意味では、鉄壁と呼ばれる組織の不都合な内実がさらされた鹿児島県警をめぐる一連の〝疑惑〟も似たようなものだ。きっかけは豪雨ではなく、元幹部の告発だった▼ただの幹部ではない。上級試験をパスしたキャリアと呼ばれる警察官僚が統制する警察組織の中で、たたき上げの警察官としては最上位の階級にあった幹部中の幹部である。その元幹部が、県警本部長によって県警内部の不祥事が隠ぺいされていると、北海道のジャーナリストに「告発文書」を送った▼県警は守秘義務違反容疑で元幹部を逮捕した。隠ぺいは事実無根と強弁した本部長だが、県議会の追及に、告発文で指摘された署員によるストーカー事件があったと認めたものの、その処分内容は口をつぐんだ。これを隠ぺいと言わずして何と呼ぶのだろうか。恐ろしい時代になったものだ。(熊)