大分建設新聞

四方山

普通

2024年05月29日
 最近「普通って何?」と思うことがある。子どものころ同居していた伯母は右手右足が不自由だったが、自分の身の回りのことや炊事など普通に出来ていた。実家は田んぼが5反の零細農家で、両親は貧乏暇なしだったため伯母が家事を担っていて、私は伯母に育てられたようなものだ▼近所にも生まれながらにして左右の手の指が2本と3本で足も不自由な人がいた。当時は車いすなどなく、当然車いすが通れる道路もなく、彼は石ころだらけのバリアフルな坂道を、腕の力だけで子どもの遊び場となっている田んぼに来て、私たちと普通に一緒に遊んだ▼テレビで%(パーセント)というドラマが始まった。障がい者を主人公にしたテレビドラマを作るという筋書のドラマで、局のプロデューサーがある劇団の障がい者に出演依頼をするところから始まる。その娘は電動車いす利用者の高校生で、脚本が障がい者なのに〇〇ができるという物珍しさ的な筋書となっていることに、障がい者に対する上から目線を感じ、最初は依頼を断る。彼女は障がいがあることで不自由なことは多少はあるけれども、普通に生活しているのだと訴える▼私の友人の身体障がい者は、会社を設立し、レクリエーションはパチンコ、競輪、釣りなどを楽しんでいる。また、統合失調症の人は自分の障がいを理解し、薬物などで症状をコントロールして寛解し家庭を持っている。みんな普通に生きているのだ▼障がい者にはアマとプロがいる。病気や事故などで障がい者になった人がアマで、先天性か物心付く前に障がいを負った人をプロと言うらしい▼私は色覚障がい者のプロであるが、普通に歳を重ねて目は薄くなり、足腰も弱まり杖を突き、頭も認知症が入って物忘れが激しくなり、そのうち人の手が必要だと普通に思っている。(筋)
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