大分建設新聞

四方山

皆どこへ消えた

2024年05月10日
 文化勲章受賞の作家、久保田万太郎(1889~1963)は、気遣いの人だったと伝わる。最期もまたそうだった。洋画家の梅原龍三郎氏宅に招かれ、寿司を振る舞われた。苦手だった赤貝も勧められるまま口にした。無理が災いしたのだろう、喉に詰まらせた。騒がせてはいけないと、何気ない素振りで手洗い場に立ってそこで昏倒した▼小説の方は忘れ去られているが、俳人としての評価は高まっている。「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」は代表作の一つに数えられる。竹馬遊びに興じていた子どもたちが名残惜しげに帰る情景を詠んだものと解説される。万太郎の眼差しは優しい。だが、令和の時代、果たしてこうした句を詠めたかどうか▼子どもたちの数が激減している。こどもの日に合わせて、15歳未満の子どもの人数が総務省から発表された。集計によると、前年より33万人減の1401万人と過去最少記録を更新した。総人口に占める割合も11・2%とこれまた過去最低だった。ちなみに本県は11・6%と、全国平均をやや上回ったものの、九州7県の中では最も低い数字だった▼折も折、民間の研究機関「人口戦略会議」は全自治体の4割に当たる744自治体が将来的に消滅の可能性が高い「消滅可能性自治体」に該当するとの試算を公表した。本県では佐伯市、臼杵市などの10市町村がそのリストに入った▼1950年、子どもの割合は30%を超え、65歳以上の高齢者は5%ほどだった。それが今では高齢者が総人口の3分の1を占める。70年余を経て人口構成は完全に様変わりしてしまった。万太郎の句については「竹馬の友」とする解釈もある。歳月を経て皆どこへ消えてしまったのか…という悲しみの句だというのである。もしかしたら令和の時代にこそふさわしいのかもしれない。(熊)
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