大分建設新聞

四方山

村山富市氏に学ぶ

2024年03月13日
 関連死を含めて2万2000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災。今年も13回目の「3・11」を迎えた。津波で壊滅的な被害を受けた東北地方沿岸部では、長期にわたる復興事業が進められている。堤防が築かれ、道路も整備されたが、人口減少に歯止めがかからない。避難者は、いまも3万人を数える▼東日本大震災の記憶が生々しい中、元日には能登半島が大地震に見舞われた。日本列島が地震活動期に入った、と見る地震学者も少なくない。その幕開けとして指摘するのが1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災だ。死者は6000人を超えた▼1000人単位の犠牲者が出たのは、福井地震(48年6月、死者約3700人)以来、半世紀ぶりのことである。時の首相は大分出身の村山富市氏。社会党(当時)委員長だったが、政権復帰を狙う自民党に担がれ、連立内閣として94年6月に発足した。保守と革新が手を結ぶなど考えられなかった時代であり、世間を仰天させた▼阪神大震災は、政権誕生から半年後に起きた戦後最大級の国難だった。初動対応の遅れのまずさも指摘された。だが「責任は自分がとる」と言って、全権を自民党の実力派議員に委ね超法規的な復興対応に当たらせたことは今も語り草だ。「己を知る者は賢者なり」という言葉を思い起こさせる▼政治的には対極にある自民党武闘派の野中広務、亀井静香の両氏からは熱烈に支持された。タカ派の亀井などは「俺はハトを守るタカだ」と言ってのけたほど。飾らない人柄に魅入られた。今年100歳を迎え、久しぶりに元気な様子が報じられた。その村山氏はかつて阪神大震災を振り返って言った。「教訓は忘れちゃいかん」。「天災は忘れた頃にやってくる」の警句を受けての感慨である。その言葉は色あせない。(熊)
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