大分建設新聞

四方山

3・11を前に

2024年02月29日
 2011年3月11日に発生した東日本大震災。県内では過去に、慶長元(1596)年、宝永4(1707)年、安政元(1854)年で大きな地震や津波による被害が発生している▼慶長元年7月12日、別府湾の日出生(ひじゅう)断層帯を震源とする大地震は、別府湾沿岸の地域を津波が襲い、多くの被害が発生した。当時の記録によると、沿岸部では府内(大分)、別府浜脇、日出、杵築、佐賀関の別府湾側で被害甚大。また、内陸部では高田(大分)で大野川を上ってきた津波によって多くの家が倒壊、死者多数。湯布院では、降り注いだ雨と度々の地震で山が崩壊し集落がのみ込まれたという▼宝永4年10月4日に発生した大地震は、静岡沖から高知沖の広い範囲で、いわゆる南海トラフ全域を震源とする大地震が起き、大津波も発生した日本最大級の巨大地震である。県南地域で大きな揺れと津波被害のほか、竹田・岡城では城の建物や石垣が崩壊したという。米水津の浦代浦は津波で村が水没、高台の養福寺の石段を二段残す高さまで押し寄せた(高さ約11・5㍍)ほか、宮之浦の高台にある迎接庵(こうしょうあん)では石段(海抜5・7㍍)まで津波が来たと伝えられている▼安政元年の大地震は、11月4日に遠州灘沖、5日に紀伊半島沖から四国沖、7日では豊予海峡と震源地が分かれて連続的に起こった。特に5日の大地震は県南地域を中心に大きな揺れと津波が襲っている。府内では勢家、生石、駄原で全壊約200軒、鶴崎も被害甚大、萩原では長久寺も倒壊したほか、杵築市は建物被害が大きかった。しかし、佐伯城下は宝永の地震後に築いた堤防で津波を防ぎ、無事だったようだ▼過去の歴史的事実から、今後の対策を考える。3月の東日本大震災を前にもう一度、大分を振り返ってみたい。(勇)
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