大分建設新聞

四方山

遺跡

2024年02月20日
 先日、中津市で発掘された古代遺跡の説明会があると聞いて、臼杵から東九州道を車で北上した。途中、不運にも交通事故に遭遇して一般道に降ろされるというハプニングもあったが、なんとか県境の街の遺跡現場にたどり着いた▼地味なイベントなのに意外に多くの見学者が集まっている。考古学か古代史でも勉強している女子大生だろうか、老男老女に混じって若い女性たちが活発に柱列や溝跡をのぞき込み、スマホで撮っている。彼女たちや市博物館の館長、説明に立った学芸員も女性のせいか、いつもなら地味な遺跡見学が華やかな舞台に見える▼市の郊外に当たるこの永添地区一帯には奈良・平安の当時、九州でも最大級の国の施設が集中していた、というのが市教育委員会の推察である。大発見の発端は平成7年、市営住宅を建て替えようと事前の発掘調査をしている時、古代の巨大な米倉の遺跡が現れ、当時、郡衙(役所)の税集積所の正倉と判明、平成22年長者屋敷官衙遺跡として国の史跡に指定された。その後、周辺一帯の調査を進めるうちに今の市役所のような郡庁、来賓をもてなす館、厨とも呼ばれる宿泊施設が現れ、今回の大型建物の遺跡発見となった▼市は、九州でも最大の国府級の政庁の可能性もあると見ている。この遺跡の北側には宇佐神宮へ向かう古代の官道が通る。現在の県道663号がそのまま重なって見えるのが不思議だ。中世になると、この一帯には豊後の覇者、大友宗麟に従属する土地の豪族の城が築かれ、やがて他勢力に滅ぼされた。当時の人々が住んでいた屋敷跡の土塁や石積みの痕跡が今も残る▼埋め戻されて広々とした公園になった正倉遺跡の中をぼんやり歩いていると、誰かに呼ばれたような気がした。タイムスリップかと期待したら、カミさんだった。(石仏)
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