大分建設新聞

四方山

校正

2024年01月16日
 私たち新聞づくりの世界で、縁の下の力持ちといえば校正者である。記者から出てきた原稿を読み、記述の誤りなどをチェックするのが役割だ。目立つ職務ではないが、いなければ困る守護神のような存在である。日露戦争を控えたころというから百数十年前の話になる。ある新聞社から前代未聞の「訂正号外」が発行された▼当時のロシア皇帝について「無能無智」と評した一文について、「全能全智」の誤りだったと謝罪する内容だった。活字を拾う職人が、記者が書いた「全」を「無」に見誤ったのが原因とされる。日露関係が緊張している中、さらに悪化させかねない間違いに、翌日紙面の「訂正」では遅いと判断、号外という緊急手段に打って出た▼これを契機に、新聞業界に広がったのが「校正畏るべし」の警句だった。すなわち校正、校正者を侮るな、というわけである。むろん、「論語」の「後生畏るべし」のもじりである。若者たちは、無限の可能性を秘めており、決して侮ってはならない、という孔子の教えである▼朝日新聞1月5日付紙面の見開き広告には驚かされた。大きな文字でこう書かれていた。「失われた30年じゃない。天才たちが生まれた30年だ」。そして、「野球を、フィギュアを、将棋を見よ。(略)たくさんの才能が生まれ羽ばたいた30年じゃないか。この国は何も失っていない」と続いた。「なるほど」とうなった▼ほどなく大きく報じられたのは、米大リーグのドジャースに移籍した大谷翔平投手が能登半島地震の被災地に、球団と共同で100万㌦(約1億4500万円)を寄付するというニュースだった。「日本中の皆さんの悲しみに寄り添う」という言葉に胸が熱くなった。金額の多寡ではない。こうして行動する若者がかつていただろうか。後生畏るべし、である。(熊)
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