伊集院静
2023年11月28日
「今はいろんな意味で希望を失いかけている。(略)私は生き続けなくてはならない。文学賞などどうでもイイ。私の本の読者の哀しみに添いとげられれば充分過ぎると思う」。伊集院静さんが『週刊現代』に連載していたエッセイ「男たちの流儀」はよく目を通したものだ▼だが9月30日・10月7日合併号掲載のその結びの一文を読んだ時、ひどく悲しげな筆致に驚いた。同連載最後の原稿となり旅立った。73歳だった。「人は悲しみを背負い生きていく」という言葉を好んで使った。なるほど、二十代で実弟を亡くし、妻子を捨ててまで結ばれた女優の夏目雅子さんもわずか27歳で不治の病で目の前から消えた▼「沈黙が切ない。切なければへこたれてもいい。それでもともかく、人は歩きだすしかないのである」(『もう一度歩き出すために 大人の流儀Ⅱ』)。心に突き刺さる言葉は、実体験から紡いだものだろう。そして、人生の深淵をのぞいてしまったかのようにこんな言葉に至るのである。「絶望だけの人生があるはずがない」▼小説の題材にするなど、自ら広言していたように、親は朝鮮半島出身の在日コリアン二世だった。同じ二世の作家、つかこうへいさん(故人)は、筆名について「いつか公平に」という隠喩が込められているとささやかれるほど、在日であることを意識しどこか冷笑的に日本を捉えていたが、伊集院さんは日本国籍を取得し日本をありのままに見ようとした▼東日本大震災以降は仙台に移り住み、被災地の窮状を訴え、日本人としてこの国の行く末を案じた。伊集院さんは日本と朝鮮半島の間に横たわる「歴史問題」を消化しきっていたのだろうか。日本に帰化しながらそれでも「移民の子」と称せざるを得なかったことに、この作家の悲しみ、そして日本社会の罪を見る。(熊)