病名
2023年10月12日
東京・矢来町。出版社の新潮社の本社社屋が建つ。そこの別館は、古い出版人から「恍惚ビル」と呼ばれることがある。真偽は不明だが、作家の有吉佐和子(故人)さんが1972年に同社から出版した『恍惚の人』が200万部に迫る大ベストセラーになり、その売り上げで建設されたと揶揄されたことにちなむ▼同書は高齢者の介護問題をテーマにすえた作品だった。認知症という言葉はない時代で「痴呆症」あるいは「呆け」という言葉が使われていた。「恍惚」という言葉はどちらかというとエロチックなイメージが持たれていたが、同書がベストセラーになると「恍惚の人」という言葉が一躍、痴呆症の別名として使われるようになった▼認知症という言葉は比較的新しく、痴呆症と呼ばれていた病名に代わる言葉として、厚生労働省が2004年に決めて誕生した。なるほど、痴呆という言葉は侮蔑的な表現である。超高齢化社会を迎え、多くの国民もそう思っていたのだろう。あっという間に定着した▼日本糖尿病学会は糖尿病の病名見直しに動いているという。「尿」の字が不潔な印象をまとい、病態を正しく示していない、というのが理由だ。学会が代案として掲げているのが「ダイアベティス」。欧米での病名という。何だか舌を噛みそうになるが、患者にとっては大きな問題である。着地点を見い出すことを祈りたい▼それにしても、この人は患者や家族の痛みを分かっているのだろうか。自民党の麻生太郎副総裁が講演で、安全保障問題を巡り公明党幹部を「がん」と酷評した件である。連立にしがみつきたいのか、静観する公明党も情けないが、批判のたとえとして病名を安易に使うことへのためらいはなかったのだろうか。政治家以前に、人間性の問題であるように感じたのである。(熊)