大分建設新聞

四方山

台湾の偉人

2023年10月02日
 あまり知られていないが、台湾で偉人とされ、地元の人によって墓や銅像が建てられている日本人土木技師がいる。石川県出身の八田與一(1886~1942年)さんである▼日本統治時代に台湾南部に、当時としては東洋一の規模を誇った烏山頭ダムと、総延長1万6000㌔に及ぶ給排水路を完成させた。ダムの満水時の貯水量は1億5000万㌧で、同時期に完成した東京の水がめ狭山湖ダムの貯水量の1952万㌧を大きく上回る▼八田さんは当時の日本政府の台湾総督府の土木技師で、水利管理が難しく不毛地帯だった嘉南平野の穀倉地帯化を考え、開発計画書を作成。地元農民からも嘆願書が何度も総督府に提出された。総工費は当時の金額で5413万円。総督府予算の3分の1になる。当然、日本政府の援助が必要だったが、米騒動などで苦しく国庫補助は多くなかった。そのため不足分は地元農民などが負担したという▼どんな大工事だったのか。土石を水圧で固めながら築造する、当時世界最新のセミ・ハイドロリック・フィル工法を採用。日本では初めての画期的なものだった。2度ほど現地を訪れたことがある。日本のダム形式と異なり自然環境に溶け込んでいるようなダムで、サンゴの形から「珊瑚ダム」とも呼ばれる。米国の最新鋭の土木機械を買い集めて工事に着手、建設現場に住み込むほど心血を注いで取り組んだ。10年をかけた工事となった▼ダム完工後に日米開戦。内地からフィリピンへの出張の途中、乗船が米潜水艦の攻撃を受け、五島列島沖で撃沈され亡くなった。悲嘆した奥さんもダムの水路に身を投げ後を追った。戦後、地元の人が夫妻の墓と銅像を建て、毎年命日の5月8日に慰霊祭を行い、夫妻を追悼している。土木で日台の絆を象徴する秘話である。(ゴウ)
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