大分建設新聞

四方山

和解

2023年06月29日
 日本三大奇勝として知られる耶馬溪。景観と同様、何とも印象深い地名は、江戸後期の漢学者、頼山陽が名付け親という。奇岩が織りなす光景の美しさに、「耶馬溪山天下無」(天下に二つとない耶馬溪)と詠んだ漢詩にちなむ。自ら描いた絵巻物とともに、全国にその名が知れ渡った。「耶馬」とは「山」の美称である▼国の名勝(文化財)に指定されて、今年は100年を迎える。絶景に魅入られるように多くの文学者が耶馬溪を訪れ、小説の題材にした。とりわけ知られているのが「青の洞門」(中津市)を舞台にした菊池寛の『恩讐の彼方に』であろう▼江戸時代、人を殺めた男が僧了海に名を変えて、罪滅ぼしのため耶馬溪の難所の絶壁を掘削して道を切り開こうしていた。そこに仇討ちの若侍が現れて…という内容だ。モデルがいる。江戸時代の中ごろにこの地を訪れた禅海和尚。小説では一人で切り開いたことになっているが、実際には石工たちも協力したらしい。ただ、小説同様に手掘りで30年余の難工事だった▼禅海和尚はこの難所で旅人が崖から落ちて命を落とすのを知って、のみを手に岩を掘り進めた。仁愛の心である。実は、いまの土木工事にも通じる。生活のための仕事ではあるが、危険を顧みず高地に橋を架け、人跡未踏の山中に入ってダムをこしらえるのは、根っこには人々の役に立つ、という秘めた誇りがあるからである▼そんな思いを踏みにじるような暴挙がウクライナの地で起きた。何者かによってダムが破壊され、東京23区の広さに匹敵する農地などが浸水した。元の大地に戻るまで、どれほどの時間、資金がかかることか。途方もない憎しみの連鎖が続く。『恩讐の彼方に』は、了海と若侍の和解の物語である。しかし、ウクライナとロシア両国の憎悪に出口は見えない。(熊)
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