大分建設新聞

四方山

中西太

2023年06月09日
 タイムスリップのように突然、昭和が現れた。さる5月11日、プロ野球界の怪童と呼ばれた元西鉄ライオンズの中西太さんが逝去された。享年90。昭和30年代の西鉄黄金時代の主力打者で、相撲取りのような体格とニコニコ顔の童顔がなんとも魅力的だった▼彼の訃報とともに当時の西鉄のメンバーがよみがえる。高倉、豊田、大下、関口、仰木、玉造…そして魔術師三原脩監督。すでに故人となられた方も多いが、野武士軍団と呼ばれた豪快な野球で、当時人気ダントツの東京スマート球団、巨人軍と日本一を賭けて死闘をくり広げた。福岡が本拠地だから当然九州のファンが多い。しかし、今、思い出しても不思議だが、当時小学生の筆者はなぜか巨人を応援していた▼その巨人が西鉄の鉄腕エース稲尾和久投手にきりきり舞いさせられ、中西、豊田らにガンガン打たれ、3連勝の後、4連敗で終わったときは、もう野球を「聞く」のはやめようと思った。当時はラジオの時代だ。今から65年前、1958年の日本シリーズの話である。あの頃のプロ野球とパチンコは(男性庶民の)娯楽の王様だった。夕暮れ時になるとラジオから野球の実況放送が流れ、パチンコしながらイヤホンで中継を聞く人も多かった▼電波は地方に冷たい。中継が来ない日もある。そんな時は近所の短波ラジオを持っているオヤジが得意気に耳を澄ます。こっちは子どもだからためらわずそばに行って耳を伸ばす。NHKの名アナウンサー志村正順と解説者小西得郎は今でも語り草のコンビだ。「打ちも打ったり、取るも取ったり」の名調子が懐かしい▼中西太はそんな世界にいた。スマート巨人が野武士の西鉄に完敗した最後の試合。巨人の新人が左中間を抜き、一気にホームまで華麗に滑り込んだ。長嶋茂雄のデビューである。(あ)
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