大分建設新聞

四方山

得意淡然

2023年05月30日
 大分駅前広場の顔といえば、勇ましい大友宗麟公の銅像であろう。大友氏は鎌倉時代から続く名門で、宗麟は戦国の世にあって北九州6カ国を治める大大名として家名を高めた。周知のようにキリシタン大名であり、その名は宣教師の報告書にも記録されている。当時、世界の先進地であったヨーロッパでも知られた存在だった▼宗麟の後を継いだのが義統。父親ほどの才覚はなかったようで、結局改易の憂き目に遭い、領地は取り上げられ、大名家としての大友氏は途絶えた。大友氏だけでない。「東海一の弓取り」とうたわれた名門、今川氏も同様だ。天下を伺いながら、織田信長の奇襲で桶狭間の戦いに敗れた今川義元。嫡男の氏真はわずか7年で国を失った。蹴鞠に興じ凡庸な性格だったと伝わる▼親が秀でているからといって、子どももそうであるというわけではないのだろう。戦国時代に限ったことではない。令和の時代も同じかもと思わせるような文春砲が飛んだ。岸田文雄首相の長男で、政務秘書官を務める翔太郎氏(32)が昨年末、首相公邸で親族と忘年会を開き、組閣写真でおなじみの赤絨毯の敷かれた階段で記念写真を撮っていた▼掲載された写真をみれば、それこそ翔太郎氏首班の内閣が組閣されたようなポーズである。別のカットには親族の一人がおどけるように横たわる姿が写っている。公邸は首相が日常生活を送る場所とはいえ、極めて公的な施設である▼そもそも際だった実績があるわけでもない翔太郎氏が昨秋、政務秘書官に抜擢された際、身びいきがすぎるという批判があった。普段着でひな壇に立つ「得意満面」の翔太郎氏の姿から漂うのは、公邸が岸田一族の私邸になってしまったかのような違和感である。結局、更迭された翔太郎氏は「失意悄然」であろう。「得意淡然」の言葉を贈りたい。(熊)
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