あるべき姿
2023年05月11日
「旅が終わった」。あるスポーツ紙は、そんな見出しを立てて報じた。歌舞伎役者の松本白鸚さん(80)が半世紀以上も単独主役を務めてきた『ラ・マンチャの男』が最終公演を終えた。1969年、26歳の時に初演。以来、1324回に渡ってセルバンテスとキホーテの2役を演じ続けてきた▼満身創痍だったという。昨秋、体調不良から歌舞伎座の公演を休み、ファンを心配させた。まだ完全ではないのだろう。ファイナル公演では、舞台の急階段のセットがスロープに変更された。それでも、最後のカーテンコールで「命ある限り、芝居を続ける」と生涯現役を誓ったのは、舞台人としての誇りだろう▼平成の歌姫、「globe」のKEIKOさん(50)が奇跡の復活を果たした。2011年にくも膜下出血で倒れた。高次脳機能障害と診断され、実家のある県内で長期のリハビリに取り組んだ。突き動かしたのは、あるバンドのライブを見ているうちに、自然と湧いてきた「あそこ(ステージ)に立ちたい」という感情だったと「女性セブン」(5月11日号)のインタビューに答えている▼KEIKOさんだけでない。夫婦漫才の宮川大助さん(73)と花子さん(68)が4年ぶりに舞台に帰ってきた。花子さんは多発性骨髄腫を発症し、闘病生活を送ってきた。車いす姿での登場であったが、悲壮感などとは無縁で、機関銃のようなしゃべくり話芸は健在だった▼3人が口をそろえるのは、今ここにいることの幸福感である。その姿に、心が動かされる。「ラ・マンチャの男」に印象的なこんなセリフがある。「憎むべき狂気とは、あるがままの人生にただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ」。〈あるべき姿〉を求める姿は気高く、見る者に勇気を与えてくれるものらしい。(熊)