大分建設新聞

四方山

下郡

2023年01月10日
 弊社の本社屋は、大分市の下郡という地域にある。西暦710(和銅3)年の平城(奈良)遷都とともに全国に展開された律令体制下で、ここ豊後の国にも国府という政治経済はもちろん軍事や宗教などの文化の中心地が置かれた▼大宰府政庁を真似た国衙という官庁街が造られていたが、実は豊後のどこにあったのか、今も正確には分かっていない。これについて臼杵市出身の考古学者、久多羅木儀一郎氏は大分市内の古国府の辺りが国府の跡と唱えている。ほかの学者たちもそれぞれの説を主張しているが、古国府付近という点では一致している。また、豊後史の権威、渡辺澄夫氏も今の上野丘に国府の役人たちの住居があったと見ている▼さて、弊社の位置である。国府の下には郡という行政地が置かれ、郡の役所は郡衙と呼ばれた。この郡衙がどこにあったのかは考古学的な遺構発掘が決め手となるため、県内でも正確な位置が分かっている例は少ないが、古国府の東を流れる大分川の対岸に当たる「下郡」もその一つではないかと見られている▼弊社の付近を通られた方なら目にされていると思うが、近年この地区では住宅区画整理や、最近本格化した大規模な道路整備事業に伴う下郡遺跡の発掘調査が各所で行われている。県によると、近世の住居跡も含めて掘立柱建物や井戸など8~9世紀の遺構が多数見つかっているという。国府に近い下郡は、当時の豊後の国の中心地の一部だったのは間違いないだろう▼仕事の合間に弊社の付近を歩いたりする。JR豊肥本線に沿って下郡のアンダーパス辺りに来ると、道路工事前の文化財の発掘調査が数箇所で行われている。そこに豊肥本線を通る豪華寝台特急の「七つ星」が優雅に現れる。古代と現代が交差し、すれ違う。(あ)
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