大分建設新聞

四方山

長崎奉行

2022年11月16日
 豊臣秀吉によって創設され、江戸時代は幕府直属の旗本たちの憧れの役職だったという長崎奉行。その最大の理由は、今風に言えば利権のスケールにある。幕府は江戸以外の要衝の地に遠国奉行という要職を置いていたが、その筆頭が長崎奉行だった▼鎖国時代の唯一の貿易港として輸出入品の管理から抜け荷(密輸品)の取り締まり、司法、防衛、行政全般、九州大名の監視、キリシタン取り締まりまであらゆる権限を総括した。二千石前後の旗本から抜擢されたが、これを巡って人事権限を持つ老中のもとには「ぜひ私を」の歎願が相次いだという。もちろん袖の下付きである。しかし少々高くついても長崎奉行になれば、実質十万石大名並みの収入になるそうだから安いものだ▼収入源は本来の役料のほかオランダ、中国貿易の特権や商人、九州大名からの莫大な献金など多様な利権がからむ。「自分も長崎奉行になりたかった」と、うらやむ今風政治家も多かろう。むろん取り放題の利権を満喫した奉行もいれば、役料以外に目もくれなった好漢の奉行もいたにちがいない。たとえば遠山の金さんこと遠山影元の父親、影晋(かげくに)。蝦夷地の情報収集や朝鮮通信使の招聘担当、勘定奉行など外交や幕府中枢の要職を務めた旗本で、金さん同様清廉潔白、人情奉行のイメージが濃い▼こうした利権絡みのせいか幕府は担当奉行を2人にしたり3人にしたり、結局2人体制で1年置きに交代させている。のちに長崎から本局(幕府)に戻れば勘定奉行の席に就くのが慣例になったというから、現在の中央省庁の人事にも似てなくもない。ただし悪事が発覚すれば出世は帳消し、厳罰が待っているところは似ていない▼ハイリターンだけを求めハイリスクからは逃げまくる今風政治家、官僚の、なんと多いことよ!(あ)
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