大分建設新聞

四方山

生きる

2022年10月13日
 「きみがため をしからざりし いのちさえ ながくもがなと おもひけるかな」。平安時代の小倉百人一首の50番目に載せられた藤原義孝という歌人の歌である。意味は「貴女に会うためならば惜しくないと思っていたこの命までもが、お逢いできた今となっては長くあってほしいと思うようになりました」▼3年間も続いているコロナ禍で、なかなか会いたい人に会えない自分と似ていて、ドキリと胸が騒いだ。当時の都の貴人たちは今のように会いたい人に簡単に会うことができなかった時代。和歌を贈り合うことは恋愛において最も重要なことだった▼男性は三十一音という限られた文字数の中で伝えたい想いをしたため、さらには女性を喜ばせるために染めた和紙を使用したり香りをつけたりなど、努力の末にプロポーズして恋愛を成就させていた。藤原義孝という歌人は、和歌の才能だけでなく、類いまれな美貌の持主だったが、残念ながら天然痘で亡くなった。21歳の若さだった。この歌は初めて好きになった人と幸せな時間を過ごした後に贈った歌と言われている▼当時の天然痘は不治の病、多くの人が亡くなったが、今はワクチンなどによって罹る人は世界でも殆どいない。とはいえコロナという現代の疫病を含め毎日のニュースで著名人が亡くなった報道を聞いたり、逆に今を必死に生きる人たちの姿を見ていたら「生きる」ということはすごく幸せなことだと改めて思う▼個人的なことだが、誕生日が来て一つ年を重ね、その日を久しぶりにパートナーと過ごした時、そのことを実感した。生きてたくさん何かを見たり食べたり経験すること、そんな当たり前の「生きる」は凄く奥が深く、はかなくて美しい。その一瞬一瞬を私はこの四方山を書いてる今を含め、最後まで一生懸命に楽しく生きていきたい。(歩)
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