大分建設新聞

四方山

鉄道150年

2022年10月11日
 今年は、日本に初めて蒸気機関車が走って150年を迎える。記念すべき年に身近では9月に西九州新幹線が開業したが、新鳥栖と武雄温泉の間は未着工だ。新幹線の線路の幅は在来線より広いので、当然同区間にも広軌の線路を敷かなければならないが、メリットが少ないのに地元の負担が大きいと佐賀県と国の折り合いがついていない▼しかし皮肉にも、明治5年1872年10月14日、日本に初めて蒸気機関車を走らせた主要人物は佐賀藩士出身の政治家で総理大臣も務めた大隈重信だ。当時、近代国家を目指すには鉄道を進める大隈重信に対し、軍事力の充実を唱える西郷隆盛などが反対し、薩摩藩の屋敷、兵部省などは土地の買収はもちろん測量さえ許さなかった▼後に鉄道の父と呼ばれる井上勝が、陸がダメなら海に線路をと海上築堤を提案した。その背景には、江戸時代に培われた日本独自の土木技術があった。ペリー来航後に防衛のために造ったお台場の人工島に使われた石積みの技術「布積みと谷積み」、そしてその石垣が沈まないように施工された杭と枕木だ▼鉄道で世界に誇る土木技術というと青函トンネルが頭に浮かぶが、当時アジアやアフリカで植民地戦略の一環として西洋が敷いた鉄道とは違い、明治維新からわずか5年で自らの力で作った海上築堤こそ日本の底力と言える。また、開業式には琉球王国の公子を招き、これを機に琉球王国を琉球藩に、そして沖縄県へと布石を打つ。今どきの政治家とはスケールが違う▼鉄キチで日本中を乗りまわった私の思い出の鉄道は、別れて暮らしていた母に会うために乗った杵築と豊前長洲の間だ。当時の豊前長洲駅は近くに小川が流れ、ヤギがつながれ、のどかだった。長洲下町まで歩く傍らにあった漬物工場のタクアンの臭いを忘れない。(リュウ)
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