大分建設新聞

四方山

円楽

2022年10月06日
 今年が生誕130年に当たる噺家の名人が八代目桂文楽(1892~1971)だ。稽古熱心の完璧主義で知られた。晩年の高座で登場人物の名前を忘れてしまった。すると「誠に申し訳ありません。もう一度勉強してまいります」と深々と頭を下げて高座をおりた。2度と上がることはなく、ほどなく世を去った▼実は謝罪の口上も事前に稽古していたと言うから、これぞ「恐れ入谷の鬼子母神」といったところか。文楽と同世代の咄家の一人に六代目三遊亭圓生(1900~79)がいる。文楽ともども昭和の大名人の一人で、三遊派の祖である「圓生」は落語界の大名跡として知られる。だが、文楽は九代目が誕生しているのに対し、圓生を継ぐ者はいない▼襲名をめぐり弟子たちの静かな争いもあったという。ところが、40年以上空位だった大名跡が別の形でよみがえった。先ごろ72歳で他界した六代目三遊亭円楽さんが生前出家し「泰通圓生上座」という法名を授かっていると報じられた。「泰通」は本名、そして「圓生」である。人気番組「笑点」での「腹黒キャラ」を地で行くよう…▼いや、そうではあるまい。肺がん、脳梗塞と4年ものの闘病生活を送り、つい1カ月半ほど前に高座に復帰したが、衰弱した体を車椅子に預けマイクを使っての口演だった。芸にかける並々ならぬ執念が伝わってきた。それは、小咄を演じた直後に倒れ「圓生師匠高座に死す」と報じられた六代目に通じる▼俗に「長生きも芸能のうち」という。歌人の吉井勇が八代目文楽に贈った歌「長生きも芸のうちぞと落語家の文楽に言ひしはいつの春にや」にちなむ。圓生も好んでこの言葉を揮毫した。健康に留意したのだろう。文楽、圓生はともに79歳で旅立った。そして、円楽さんの享年は72。生き急ぎの死だった。(熊)
取材依頼はこちら
フォトkンテスト
環境測定センター
arrow_drop_up
TOP