大分建設新聞

四方山

街並みの保存

2022年09月05日
 県の景観・まちづくりセミナーを取材した。大分市戸次本町地区でまち歩きをしたが、道路が狭いわりには行き交う車の量は多く、道端で行き過ぎる車を待ちながら、故郷杵築の昭和を思い出した▼杵築は昭和50年代後半に城下町の町並み保存の機運が高まったが、昭和62(1987)年にサンドイッチ型の城下町と言われる北台と南台の間を通る弓町―谷町を結ぶ道路は拡幅された▼この時、歴史ある建物や遺構を残した部分もあるが、失くしたものもある。もちろん建て替えや修復には江戸時代を思わせる景観デザインが採用されているが、この拡幅に厳しい意見や見解は未だに多い。当時は私の親以上の世代が決めたことだが、同級生の間でも賛否両論だった▼確かにその後、無くなった店舗も多く、空き地、空き家も少なくない。しかし観光客は増えているし、全国区の観光地と言っても過言ではないほど有名になった。そこには、地元商店街が中心となった「まち興しの会」の努力が続いているからだろう。歴史ある天神祭りを継承する中で、お城まつりや観月祭などを起こし、江戸時代の衣装をまとって観光客や市民が参加できる大名行列や花魁道中を企画した。レンタルした着物を着て観光すれば入館料無料や割引になる店舗などの特典を用意、祭りでない時でも江戸時代にタイムスリップできる観光城下町を作った。酒蔵を改修した「きつき衆楽観」が大衆演劇などで集客に成功しているのは、観光バスが容易に入る拡幅駐車場の効果か▼親が地元を守る一方で、県外の大学に進学してUターンしない跡取りも多い。杵築に限らず地方の衰退は、道路行政より県外への進学と産業構造の変化の方が大きな要因ではないだろうか。杵築のことを片時も忘れない私にとって考えさせられるセミナーだった。(リュウ)
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