大分建設新聞

四方山

鎮魂

2022年08月23日
 「神風特別攻撃隊発進之地碑」。大分市青葉町の大洲総合運動場のテニスコートの脇に、その碑はたたずんでいる。裏面には「昭和二十年八月十五日午後四時三十分 太平洋戦争最後の特別攻撃隊はこの地より出撃せり」。無条件降伏を国民に伝える天皇のラジオ放送からすでに4時間以上がたっていた。大分海軍航空基地と呼ばれたここから特攻機11機が飛び立った▼指揮したのは海軍中将。軍の命令に反して、17人の若者を道連れにした。奪われるいわれのない命である。遺族の一人は「どうして自分一人でピストルで自決せんじゃったんじゃろうか」と嘆いた。そうした不条理も含めて戦争の「悲劇」である▼日本人にとって8月は鎮魂の月である。この季節になると、忘れないように当時の遺書集に目を通す。「我六歳の時より育て下されし母。継母とは言へ世の此の種の女にある如き不祥事は一度たりとてなく、慈しみ育てて下さりし母(中略)遂に最後迄『お母さん』と呼ばざりし俺。(中略)母上お許し下さい。さぞ淋しかったでしょう。今こそ大声で呼ばして頂きます。お母さん、お母さん、お母さんと」▼鹿児島県知覧の特攻基地から飛び立った18歳の少年兵である。心中を思うとき、どれほど辛かっただろうかと思う。「辛」は入れ墨に使う針をかたどった象形文字である。身や心に針を刺すような痛みを現す漢字として「辛」の字が使われた。先の戦争の犠牲者は300万人といわれる。その「辛」の総和の上に今の日本がある▼内閣改造で入閣した高市早苗氏は、終戦の日を翌日に控えた14日夜、経済安全保障担当相というポストに不満だったようで「辛い気持ちで一杯」とツイートした。タカ派として知られるが、鎮魂の気持ちよりも、自身の「幸」しか頭にないのだろう。英霊は眠れない。(熊)
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