大分建設新聞

四方山

治水

2022年07月01日
 あっという間に梅雨は明けたが、大雨の恐怖は消えない。山脈から海までの距離が極端に短い日本列島の河川はどうしても急流が多くなる。近年では球磨川が大雨で氾濫、大洪水となって沿岸の町や村に大きな被害をもたらした。関東平野の鬼怒川や長野県の千曲川の氾濫による大災害も耳目に新しい▼暴れる川をどう鎮めるか。わが国の施政者たちは大昔から、この難敵に立ち向かってきた。戦国武将の武田信玄が治水対策で築いた信玄堤は、今も山梨県の人々の生活を守っている。釜無川沿い1・8㌔にわたり20年の歳月をかけて築いた堤防は川除と呼ばれ、二つの川が合流する河岸には増水を引き入れる霞提を設置して水勢を削ぎ堤の越水を防いだ。今も専門家の評価が高い治水策だ▼また、京都の宇治川沿いに築かれた豊臣秀吉の太閤堤も現在、詳しい調査が進められており、秀吉の高度な土木知識の全容が明らかになる日も近い。一方、徳川家康は大湿地帯だった江戸の地を大改造するため、坂東太郎の異名を持つ大暴れ川、利根川の流れを人工的に東側に向ける東遷事業というビッグプロジェクトをやっている。当時の利根川は今の東京湾に注いでおり、たびたび暴れた。そんな大自然に立ち向かい、完成までに60年もの歳月をかけた大工事だった▼治水のための土木技術の進歩は著しいが、それでも日本列島を襲う天変地異の前では、人間の力はか弱い。今も災害は起こり続け政府も国土強靱化対策に必死だ。「自然との戦いに終わりはない」のはみんな承知している▼信玄、秀吉、家康も、そのほか無数の施政者たちも知恵を絞り金の工面に走り、多くの犠牲者を悼み、それでもあきらめることなく大汗かいて御し難い強敵と組み合ってきた。負けても負けても、なお。これが日本の治水だ。(あ)
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