大分建設新聞

四方山

2022年05月31日
 うちうちのこと、それも夫婦の関係ともなれば、他者に明かすのははばかれる。だが、文章を生業にする人たちは違うらしい。現代を代表する歌人、永田和宏さん(75)の新著「あの胸が岬のように遠かった」を手に取った。妻は、10年前に亡くなった河野裕子。女流歌人として名をはせ、2人の仲睦まじい関係は「歌壇のおしどり夫婦」と呼ばれた▼読み進めるうちに、短歌というわずか三十一文字のなかには、全感情が小宇宙のように織り込まれていることを知った。〈わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときはあなたがほんとうに死ぬ〉。亡き妻を思い、永田さんが詠んだ一首である▼死者の記憶は、生者の中でしか生きていない。二度死ぬな―という、亡妻に捧げる祈りであろう。短歌の源流である和歌には「言霊」信仰が宿っているとされる。言葉には不思議な力が宿り、歌を通して神に願意が伝わるというのだ。「歌」の語源はかつて「訴え」と考えられたこともあったという▼〈雪山に倒れし友らの半世紀愚か者の革命哀しみ深し〉。懲役20年の刑を終えて出所した、過激派「日本赤軍」を率いた重信房子元幹部(76)の近作。事件から今年で50年を迎えた連合赤軍事件で、リンチで殺害された同士を悼む歌である。だが仲間内による事件というのに、人ごとのように響く▼日本赤軍はイスラエルの空港で銃を乱射、100人以上を殺傷するなど数々のテロ事件を引き起こした。にもかかわらず、出所後の会見では「古い時代のこと」と言ってのけた。悲しみの記憶を抱きしめている犠牲者の家族、縁者のことは念頭にないのだろう。日本を否定してテロ活動に突き進んだというのに、短歌というのもおかしな話である。歌から垣間見えるのは、祈りなどでない、保身の訴えだけである。(熊)
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