大分建設新聞

四方山

沖縄復帰50周年を機に地図を見る

2022年05月09日
 沖縄県は、5月15日に本土復帰50周年を迎える。祝うべき日であるが、復帰の日までの道のりは単純なものではなかった。太平洋戦争の後、サンフランシスコ平和条約の発効により、1951年9月から奄美諸島、琉球諸島、小笠原諸島はアメリカ単独による信託統治が始まった▼線が引かれた北緯29度は屋久島と口之島の間で、今の沖縄県だけでなく鹿児島県の一部も統治下になった。統治下になると精神的な苦痛だけでなく、日本の経済とは分断され、衣類などはアメリカ軍の支給品という苦労も味わうことになる。当時の沖縄は基地の建設ラッシュに沸いており、兄弟島と呼ばれていた奄美からも多くの移住者が働いた▼一方では、日本復帰運動が活発に行われ、53(昭和28)年12月25日に北緯27度までの奄美諸島が日本に復帰を遂げる。奄美は喜びに沸いたが、沖縄に移住していた奄美の人々の生活は一変した。奄美出身者の処遇を定めた布令がアメリカ軍から出され、外国人登録証が必要になり、在留許可証の携帯が義務付けられた。選挙権や公職も認められず融資も受けられなくなった。奄美と沖縄の間を行き来するのもパスポートが必要になった。背景には、基地建設を優位に進めたいアメリカ軍の政策があったと言われている▼19年後の72(昭和47)年5月15日、アメリカとの沖縄返還協定が締結され、沖縄は日本に返還された。しかし、沖縄には今だにアメリカ軍の施設が集中し、さまざまな矛盾は解消されていない▼世界では常にどこかで紛争や戦争が繰り返されており、その原因の多くは領土問題にあり、結果的には人為的な国境が引かれ、同じ民族や家族が引き裂かれている。沖縄復帰50周年を機に、地図を広げて戦後の日本を正しく知り、世界で起きていることを見直す必要がある。(リュウ)
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