神品 誠治さん(㈱江藤製作所社長)
2020年06月30日
県内企業の宇宙関連産業への挑戦機運が醸成される中で、環境観測小型衛星「てんこう」の製作関連企業の一つ㈱江藤製作所(大分市)の神品誠治社長に話を聞いた。
同社は、精密溶断や各種化工機器プラントの設計製作施工、メカトロ機器の設計・製作で実績があり、高い評価を得ている。
「てんこう」では、外部パネルの製作を担当した。神品社長は「外部パネルは宇宙空間での大きな温度差や宇宙線に耐えなければならず、鉄より軽く、しかも強い炭素繊維強化プラスチックを使って開発したが、当社にとって初めて扱う素材であり苦労した」と話す。
同社はまた、建設関係にも高い技術力で定評のある会社で、「種子島宇宙センターの建設に携わり、高圧ガス噴射設備の建設なども手掛けてきた。このセンターのH―Ⅱロケット組み立て棟の2枚扉も設計製作した」と語る。この2枚扉は、ギネスにも認定された世界最大級の大きさで、スライド扉は1枚当たり高さ67・46㍍、幅26・95㍍、厚さ2・5㍍、重さ400㌧に及ぶ。神品社長は「数字が並んでもピンとこないかもしれないが、15階建てのビルと同じぐらいの高さ」とその大きさを例え、「種子島は風が強く、強風の際には強制的に引き込む機構が必要で、巨大な扉であるために、その変形に対する可動コントロールは非常に悩ましかった」と製作面での苦労を振り返った。
さらに「ロケットには火薬が多くの箇所に使われており、例えば高度150㌔前後の宇宙環境で、衛星フェアリングを瞬時に整然と開かせるのに、多数の分離ボルトを超高速で順番に破断させるデリケートな機構に、間接的に火薬を使っている。これも川崎重工業の技術だ」と日本の技術の高さを強調する。
ロケットのような最先端のものが、最先端のデジタル技術と火薬を爆破するというアナログ機構とのマッチング技術で成り立っていることに驚く。
神品社長が、なぜそんなに宇宙に造詣が深いのか。「大分高専を卒業して川崎重工業㈱に就職した後、宇宙開発関連のNプロジェクトに配属され、多くの実績を積み上げてきた」のが発端。しかし、後に大分へのUターンにより、縁あって江藤酸素に入社し、分社化した江藤製作所を担当することになった。「夢をあきらめずに宇宙関連の仕事を手掛けたいと提案し続けた結果、大分の地で実現した」と地元大分で最先端の夢を立ち上げた。
最後に「人生は、時の運と縁が90%と思っているが、残り10%でも努力を怠らずに追い続ける夢はきっと叶うもの。失敗を恐れずにチャレンジすること。ただし、理論に基づいた現場での経験の積み重ねが大切」と話を結んだ。
多趣味で器用。DIYはプロ顔負けの工具を揃え、農業でも多品種を栽培し、ゴルフもハンディ7・3前後を維持する。
1971年、大分高専卒業。同年川崎重工業㈱神戸本社入社。75年、Nロケットプロジェクトに関わる。79年、江藤酸素㈱入社。90年、江藤製作所に改名後、2013年から代表取締役社長。
同社は、精密溶断や各種化工機器プラントの設計製作施工、メカトロ機器の設計・製作で実績があり、高い評価を得ている。
「てんこう」では、外部パネルの製作を担当した。神品社長は「外部パネルは宇宙空間での大きな温度差や宇宙線に耐えなければならず、鉄より軽く、しかも強い炭素繊維強化プラスチックを使って開発したが、当社にとって初めて扱う素材であり苦労した」と話す。
同社はまた、建設関係にも高い技術力で定評のある会社で、「種子島宇宙センターの建設に携わり、高圧ガス噴射設備の建設なども手掛けてきた。このセンターのH―Ⅱロケット組み立て棟の2枚扉も設計製作した」と語る。この2枚扉は、ギネスにも認定された世界最大級の大きさで、スライド扉は1枚当たり高さ67・46㍍、幅26・95㍍、厚さ2・5㍍、重さ400㌧に及ぶ。神品社長は「数字が並んでもピンとこないかもしれないが、15階建てのビルと同じぐらいの高さ」とその大きさを例え、「種子島は風が強く、強風の際には強制的に引き込む機構が必要で、巨大な扉であるために、その変形に対する可動コントロールは非常に悩ましかった」と製作面での苦労を振り返った。
さらに「ロケットには火薬が多くの箇所に使われており、例えば高度150㌔前後の宇宙環境で、衛星フェアリングを瞬時に整然と開かせるのに、多数の分離ボルトを超高速で順番に破断させるデリケートな機構に、間接的に火薬を使っている。これも川崎重工業の技術だ」と日本の技術の高さを強調する。
ロケットのような最先端のものが、最先端のデジタル技術と火薬を爆破するというアナログ機構とのマッチング技術で成り立っていることに驚く。
神品社長が、なぜそんなに宇宙に造詣が深いのか。「大分高専を卒業して川崎重工業㈱に就職した後、宇宙開発関連のNプロジェクトに配属され、多くの実績を積み上げてきた」のが発端。しかし、後に大分へのUターンにより、縁あって江藤酸素に入社し、分社化した江藤製作所を担当することになった。「夢をあきらめずに宇宙関連の仕事を手掛けたいと提案し続けた結果、大分の地で実現した」と地元大分で最先端の夢を立ち上げた。
最後に「人生は、時の運と縁が90%と思っているが、残り10%でも努力を怠らずに追い続ける夢はきっと叶うもの。失敗を恐れずにチャレンジすること。ただし、理論に基づいた現場での経験の積み重ねが大切」と話を結んだ。
多趣味で器用。DIYはプロ顔負けの工具を揃え、農業でも多品種を栽培し、ゴルフもハンディ7・3前後を維持する。
1971年、大分高専卒業。同年川崎重工業㈱神戸本社入社。75年、Nロケットプロジェクトに関わる。79年、江藤酸素㈱入社。90年、江藤製作所に改名後、2013年から代表取締役社長。