桑原 和生さん(国東土木事務所長)
2020年06月04日
「『おおいた土木未来プラン2015』に沿い、土木事務所という出先機関としての役割を考えて、ワークスタイルの見直し、業務の進め方を改善したい」と切り出した。
いかに風通しの良い職場にするかということに取り組み、報・連・相を徹底したい、と言う。
そのためには、常にアンテナを高くしていろいろな情報を吸い上げなければならない、というのが桑原所長の職場に対する、まず第一の思いだ。
もう一つは、危機管理。「土木事務所は、地域の防災センターとしての役割を担っているので、もっと機能を強化しなければならない」と責任感を込めて付け加える。
管内には、安岐ダムと行入ダムという2つの治水ダムがあり、特に安岐ダムはゲート操作の機能を持っているので、「情報の発信が主体になるので、少人数の中でもその管理体制を強化しなければならない」と、災害時にできるダム管理についての想定を特に強調した。
実は、桑原所長は、ダムに関する仕事に10年ほど携わっており、ダムの技術的な話は非常に詳しく、まさにプロフェッショナル。
さらに、当時のスタッフと2人で作成した大分県のダムカードを見せてくれた。
「ダムデータはもちろんランダム情報、こだわり技術の欄もすべて書き上げた」と言う。
国東土木事務所は2回目の勤務。4年前に2年間勤務しているので土地勘はあり、「管内にはどこに何が有るか把握しているし、課題も大体掌握している」と語る。
また、落石など災害発生のメカニズムや、気象と地形の関係による道路事情も熟知しており、多岐に渡る知識は深い。
国東は道路整備が進んでおり、気候的にも安定している落ち着いた地域で、桑原所長によると「なぜか今まで災害に巡り遭ったことがない」という幸運の持ち主。
しかしながら「災害は誰にも予測できない。気を引き締めなければ」と自らを戒めた。
建設業界へのメッセージとしては「地元業界の皆さんには日頃から頑張っていただいているので、業者さんの数や人手不足に対して、発注や執行の時期などを配慮しながら協力していきたいと思っている」と思いやりをのぞかせた。
さらに、「災害発生時には、地元建設業界の皆さんの応援を期待している」と、協力体制の必要性を強く語る。
最後に「若い人の指導は難しい時代になっているが、いろいろな場面を経験してもらう際に、先輩の蓄積を継承してもらい、対応能力を磨いてもらうことで、優秀な後輩の素質と能力を生かしていきたい」と結んだ。
家族は、大分市内の自宅に奥さんを残して単身赴任。
男女双子の子どもは東京で生活し、それぞれの道を歩いている。
略歴~1981年に大分高専を卒業し、当時の国鉄(現JR)を経て、90年に県の職員に。
土木事務所勤務を7回、河川課を3回、ダム建設事務所を2回の経歴。今年4月から現職。59歳。
いかに風通しの良い職場にするかということに取り組み、報・連・相を徹底したい、と言う。
そのためには、常にアンテナを高くしていろいろな情報を吸い上げなければならない、というのが桑原所長の職場に対する、まず第一の思いだ。
もう一つは、危機管理。「土木事務所は、地域の防災センターとしての役割を担っているので、もっと機能を強化しなければならない」と責任感を込めて付け加える。
管内には、安岐ダムと行入ダムという2つの治水ダムがあり、特に安岐ダムはゲート操作の機能を持っているので、「情報の発信が主体になるので、少人数の中でもその管理体制を強化しなければならない」と、災害時にできるダム管理についての想定を特に強調した。
実は、桑原所長は、ダムに関する仕事に10年ほど携わっており、ダムの技術的な話は非常に詳しく、まさにプロフェッショナル。
さらに、当時のスタッフと2人で作成した大分県のダムカードを見せてくれた。
「ダムデータはもちろんランダム情報、こだわり技術の欄もすべて書き上げた」と言う。
国東土木事務所は2回目の勤務。4年前に2年間勤務しているので土地勘はあり、「管内にはどこに何が有るか把握しているし、課題も大体掌握している」と語る。
また、落石など災害発生のメカニズムや、気象と地形の関係による道路事情も熟知しており、多岐に渡る知識は深い。
国東は道路整備が進んでおり、気候的にも安定している落ち着いた地域で、桑原所長によると「なぜか今まで災害に巡り遭ったことがない」という幸運の持ち主。
しかしながら「災害は誰にも予測できない。気を引き締めなければ」と自らを戒めた。
建設業界へのメッセージとしては「地元業界の皆さんには日頃から頑張っていただいているので、業者さんの数や人手不足に対して、発注や執行の時期などを配慮しながら協力していきたいと思っている」と思いやりをのぞかせた。
さらに、「災害発生時には、地元建設業界の皆さんの応援を期待している」と、協力体制の必要性を強く語る。
最後に「若い人の指導は難しい時代になっているが、いろいろな場面を経験してもらう際に、先輩の蓄積を継承してもらい、対応能力を磨いてもらうことで、優秀な後輩の素質と能力を生かしていきたい」と結んだ。
家族は、大分市内の自宅に奥さんを残して単身赴任。
男女双子の子どもは東京で生活し、それぞれの道を歩いている。
略歴~1981年に大分高専を卒業し、当時の国鉄(現JR)を経て、90年に県の職員に。
土木事務所勤務を7回、河川課を3回、ダム建設事務所を2回の経歴。今年4月から現職。59歳。