磯田 健さん(中部振興局長)
2020年05月07日
前任の企画政策課で、政策や長期計画の立案に携わってきた。
「どうしてもマクロでやらざるを得ないことがあるが、実際にものごとが動くのは現場で、検証するのも現場。振興局は、まさにやりがいの有る場所だと思っている」と抱負を語り始めた。
振興局勤務は2度目だが、約20年前の1回目の頃は国や県の本庁が決めたことを、上から下ろした通りに現場が動いていれば良い時代だった。
しかし、今は世の中の変化も早く、スパンも短い。社会全体が大きく変わり始めており、予測も立たなくなっていることについて、「この変化に行政が追い付いていけるかが重要。後を追いかけるのではなく、想像力を働かせて先手先手を打っていかなければならない」と矢継ぎ早に語る。
さらに「変化や重要なものごとは、本庁ではなく現場で起こっている。『変化はエッジから起きる』」と言う。
「県職員になったなら、一度はやってみたいのが振興局長とも言われている。肌感覚で実際に起きていることを感じられる最前線を楽しみにしている」と、穏やかながらも意気込みを感じる言葉が並んだ。
職員の皆さんには三つのお願いをしたと言う。
一つは、「事務分掌で仕事をするのではなく、タスクで仕事をしてほしい。現場を持っているわれわれのタスクというのは、地域の人々の生活、幸せを支えるという隙間のないもの。仕事は縦型ではいけない」。
二つ目は、「現場で考え続ける。現場で起きていることは、現場で考えて現場でソリューションまで作り上げる。思考停止してはいけない」。
三つ目は、「仕事は人生の一部。柔軟に考えて高いパフォーマンスを発揮するためには、いろいろなチャンネルを持たなければ。仕事もその一つ。幅がどれほど持てるかが大切」と話す。
建設業界に対しては「建設業全体が、社会の中の非常に重要な位置を占めている。社会の底支えをしている産業だと認識している」とし、「例えば、災害時の農業の事業では、今年や次年度の作付けに影響を与えるので、発注サイドとしても工夫して、目的を達成しながら業者の皆さんと課題解決に結びつけたい。発注する側と受注する側という立場もあるが、一方では大きな社会整備、防災、災害復旧という、大きな目的に対して協力してやっていく立場の仲間。無理をお願いすることもあるかと思うが、ぜひ一緒に頑張っていきたい」と共生の言葉を強調した。
一旦人間が手を入れた自然は、手を入れ続けなければ必ず下流域に影響が出てしまう。
この国の歴史は、水をどう管理するかという歴史とほぼ重なる。
これを踏まえた上で、「川を治めて、農業用水路を整備して維持していくことに2000年の歴史が有る。この目に見えないところで仕事をしているのが振興局の仕事。農村だけでなく、地域全体を下支えしているところがある」と振興局の重みを語り、話を結んだ。
多種のスポーツをこなしてきた。宇佐市出身で、当時の小学校には土俵があり、子どもの頃から相撲の経験がある。
略歴~1987年、北九州大学大学院を修了して県職員に。
地域活力応援室長、政策企画課長、企画振興部審議監兼政策企画課長などを経て、今年4月、現職。宇佐市出身。57歳。
「どうしてもマクロでやらざるを得ないことがあるが、実際にものごとが動くのは現場で、検証するのも現場。振興局は、まさにやりがいの有る場所だと思っている」と抱負を語り始めた。
振興局勤務は2度目だが、約20年前の1回目の頃は国や県の本庁が決めたことを、上から下ろした通りに現場が動いていれば良い時代だった。
しかし、今は世の中の変化も早く、スパンも短い。社会全体が大きく変わり始めており、予測も立たなくなっていることについて、「この変化に行政が追い付いていけるかが重要。後を追いかけるのではなく、想像力を働かせて先手先手を打っていかなければならない」と矢継ぎ早に語る。
さらに「変化や重要なものごとは、本庁ではなく現場で起こっている。『変化はエッジから起きる』」と言う。
「県職員になったなら、一度はやってみたいのが振興局長とも言われている。肌感覚で実際に起きていることを感じられる最前線を楽しみにしている」と、穏やかながらも意気込みを感じる言葉が並んだ。
職員の皆さんには三つのお願いをしたと言う。
一つは、「事務分掌で仕事をするのではなく、タスクで仕事をしてほしい。現場を持っているわれわれのタスクというのは、地域の人々の生活、幸せを支えるという隙間のないもの。仕事は縦型ではいけない」。
二つ目は、「現場で考え続ける。現場で起きていることは、現場で考えて現場でソリューションまで作り上げる。思考停止してはいけない」。
三つ目は、「仕事は人生の一部。柔軟に考えて高いパフォーマンスを発揮するためには、いろいろなチャンネルを持たなければ。仕事もその一つ。幅がどれほど持てるかが大切」と話す。
建設業界に対しては「建設業全体が、社会の中の非常に重要な位置を占めている。社会の底支えをしている産業だと認識している」とし、「例えば、災害時の農業の事業では、今年や次年度の作付けに影響を与えるので、発注サイドとしても工夫して、目的を達成しながら業者の皆さんと課題解決に結びつけたい。発注する側と受注する側という立場もあるが、一方では大きな社会整備、防災、災害復旧という、大きな目的に対して協力してやっていく立場の仲間。無理をお願いすることもあるかと思うが、ぜひ一緒に頑張っていきたい」と共生の言葉を強調した。
一旦人間が手を入れた自然は、手を入れ続けなければ必ず下流域に影響が出てしまう。
この国の歴史は、水をどう管理するかという歴史とほぼ重なる。
これを踏まえた上で、「川を治めて、農業用水路を整備して維持していくことに2000年の歴史が有る。この目に見えないところで仕事をしているのが振興局の仕事。農村だけでなく、地域全体を下支えしているところがある」と振興局の重みを語り、話を結んだ。
多種のスポーツをこなしてきた。宇佐市出身で、当時の小学校には土俵があり、子どもの頃から相撲の経験がある。
略歴~1987年、北九州大学大学院を修了して県職員に。
地域活力応援室長、政策企画課長、企画振興部審議監兼政策企画課長などを経て、今年4月、現職。宇佐市出身。57歳。