大分建設新聞

インタビュー

安部 丞さん(㈲英彦建設社長)

2015年06月09日
 「安倍氏」のルーツを探して、20年以上かけ県内外を調べて回った、安部さん。先日、「豊後安倍氏の伝承」が題名の約550㌻の本を、自費出版した。
 安部さんは、明治時代になるまで、旧野津原村(現大分市野津原)で庄屋を務めた「安部家」に生まれ、先祖は、前9年の役(1051年~1062年)で滅ぼされた「奥州安倍氏」にたどり着く。(明治時代に安部に変更)
 安部家は、家伝によると、平安時代に初代安倍良隆が大宰府から、稙田荘の目代(役人)として、大分郡稙田荘一ノ瀬に居を構えたことにはじまる。鎌倉時代に大友氏が豊後国に入国してからは、大友氏に仕え、室町時代に所領だった「豊饒」を名乗り、大友家加判衆、筑後守護守を務めた。しかし、慶長5年(1600年)9月13日、別府石垣原で、大友義統と黒田如水(官兵衛)の合戦で、大友氏が滅亡。この合戦で安部さんの13代前にあたる豊饒弾正忠宗鑑が一族郎党を率いて出陣し討ち死にするが、大友氏への忠義が認められ、子孫は野津原で、御目見江株町別当を世襲し、野津原村と隣接の権現村の庄屋を兼務した。
 安部さんは、小さいころから、「安倍氏」の歴史を父親から聞かされて育った。大学4年生の時に父親が亡くなり、それ以来、家に伝わる古文書を読み解き、「安倍氏」の歴史検証をライフワークとしてきた。「日本の歴史では、奥州安倍氏の出自が蝦夷(北海道の古称)、俘囚(朝廷に属した蝦夷のこと)とされてきたが、それは大きな間違い。正三位大納言阿倍安仁につながる系譜である」との自説を唱える。
 「安倍氏」の歴史検証の旅では、県内外で、多くの遠い親戚たちと交流を深めた。安倍姓の人たちと交流する中で、同族意識の高さを感じ、「不思議な縁によって人は結ばれている」と話し、先祖への感謝の気持ちを忘れてはならないという。
 大分県や福岡県は、「安部」「阿部」「安倍」の姓が、全国的にみても非常に多い。「あべ」姓の人たちは、みんな遠い親戚かもしれない。「豊後安倍氏の伝承」は、店頭では販売しないが、興味のある方は、1冊5000円で提供する。詳細は、安部さんが社長の七瀬観光開発㈱(097〈588〉0111)まで。郵送の場合は、別途送料510円が必要。


20年以上かけ調査し本を執筆した安部さん
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