大分建設新聞

インタビュー

畔津義彦さん( 中津土木事務所長)、「現場第一」を徹底

2009年04月27日
 中津には14年まで3年間勤務し、勝手知ったる土地ではあるが、着任して管内を回ってみると、6年前とはずいぶん様子が変わっている。特にダイハツ九州アリーナ周辺などは大きく変化し、中津日田道路の整備や自動車関連企業の進出なども進み、「経済環境が大変厳しい中ではあるが、中津をはじめ県北地域は比較的動きがあるように感じる」と率直な感想。  その上で、「将来につながる地域の活力を、自分たちが下支えしているんだというぐらいの気概と自負心を持って、仕事に立ち向かってほしい」と職員に期待する。「常にそうした高い意識で、当面する東九州自動車道築上~宇佐間の用地取得交渉や、中津日田道路の伊藤田~三光インター間と本耶馬渓~耶馬渓間の早期供用開始に向けて、事務所の総力をあげて取り組む」と意気込みを語った。  さらに国の直轄事業で用地取得が進んでいる臨港道路中津港線(約3・4㌔)に並行している天貝川改修工事など「景気回復に直接関係はないが、この工事のように地域のニーズにきめ細かく対応することが、社会インフラの点検、整備をする上で重要。結果的に建設業を含む地域経済の活性化に役立つ」と力を込めた。  本紙に県や業界の技術者がよく登場しているのを見ると、「若い技術者が頑張っている。我々も後世に残る仕事をしているのだという、プライドを持ち、発注者と受注者がお互いに刺激し合えば、必ず良い結果が生まれる」と信じている。  阪神・淡路大震災の際は、畔津所長自身も震災復興支援のため兵庫県芦屋市に駆けつけた。「大所帯の県では、都市計画一つをとっても、仕事は細分化されているが、職員が少ない県は、何でも経験して、実務をこなせるようにならないといけない。芦屋では、実務を経験していたおかげで、お役に立つことができた。いくら書類を見ても本当の実務は分からない。私どもの実務というのは、現地、現場でこそ身につくもの」と、熱く語る。だから、職場では、「現場第一」を口すっぱく説く。  趣味はバドミントン。好きな言葉は「一期一会」。温和な人だ。 略歴  京都大学大学院卒。昭和54年、県職員に。大分市の大在土地区画整理事業の仕事を皮切りに、主に道路と都市計画畑を歩き、前任の都市計画課長から今年4月、現職。昭和30年1月1日生まれの54歳。




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