大分建設新聞

インタビュー

河村善一 さん(三富建設(株))

2007年11月24日
 異業種参入が進む建設業界で、同社(大分市)は、本業にこだわる。河村社長は、「建設業を始めて41年になるが、異業種の異の字も考えたことはない。攻めの姿勢でこの仕事を貫いてみせる」と言い切る。  昨年秋、久留米に営業所を開設した。「攻めの営業」の戦闘開始である。現在、久留米市内に6階建ての共同住宅2棟を施工中で、同市と佐賀市に500m2の福祉施設、1800m2の9階建てマンションなど3棟の工事に近くとりかかる。すべて、自社の設計施工だ。  異業種参入にかわって選んだ道が、市場を他県に求めることだった。「県内大手ゼネコンが、以前は見向きもしなかったような1~2億の仕事まで価格争いの末取っていく時代になった。これでは、中堅業者は県内で生きていけない。他の市場に目を向けるしかないでしょうが」と経緯を嘆く。  河村さんは、鶴崎工業高校を卒業後露天商などで貯めたお金を元手に東京で造園会社を興す。19歳の時だった。その後、交通事故で長期入院して廃業。大分に帰って、建築会社を設立したのが昭和44年、23才の時。桃園、下郡などの団地を手がけて急成長。28才の時には年商15億に達する。  「天狗になっていた。金回りが良かったところを悪いヤツに狙われてしまった」と河村さん。若気の至りで2度目の挫折を味わう。  昭和58年に今の会社を設立するが、49歳の時に脳梗塞で倒れる。その時は、事業を縮小して乗り切り、3度目の復活を果たす。  「親は教師だったので金はないし、誰にも頼らずやってきた。苦労なら誰にも負けないよ」。不況克服に自信をみなぎらせた。




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