神門屋根の葺替え 薦神社の修理終了〈中津市〉無料
工事・計画県北地区
2022年05月27日
中津市大貞にある国の重要文化財「薦神社」(宗教法人薦神社・池永孝生代表役員)の神門修理がほぼ終わり、5月19日報道機関向けの現地説明会があった。国の補助を受け重要文化財薦神社神門修理委員会が2020年11月から経年劣化によるこけら葺き屋根の葺き替え工事を進めていたもので、6月に完了する。修理は20年ぶり。こけら葺きは薄い板材を重ねて屋根を葺く工法。
神門の高さは11・7㍍、平面積は27・1平方㍍、修理部分の屋根の面積は101・2平方㍍。修理概要は、上層屋根のこけら葺の葺き替えと、古くなって傷んでいる部材などの部分修理。総事業費は7000万円としている。
設計は文化庁の文化財建造物保存技術協会。施工したのは豊建設工業(中津市、梶原雄一代表取締役社長)。同社は、市内留守居町の福沢諭吉旧居をはじめ、県内外の歴史ある木造建築物の改修実績がある。
同社の大丸長昭建築部長によると、長さ364㍉、幅100㍉以上、厚さは2㍉の杉の板を縦方向に15㍉ずつスライドして重ねていく工法で、止めるのは竹釘。杉は製材したものは使えないため、奈良県の吉野杉を工具で手割りした杉の赤身部分のみを約6万枚近くを使用した。「杉板が乾燥しないように進捗状況に合わせて納入してもらうが、供給する側も人手が少なく時間がかかるので調整が難しかった」と話した。
また、こうした技術は、同社も協力会社を含めて技術者や経験者の確保が難しくなってきているという。
宮司の池永さんは「95年に全面的な解体修理をしたが、20年を経過した頃から上層屋根が傷みはじめ、20年11月から国、県、市の補助を受けて修理事業を開始した。この神門は勅使が出入りした門で、宇佐八幡宮の方向を向いている。薦神社から宇佐八幡宮そして国東の八幡奈多宮までの地域が一つの経済圏だった頃の象徴的な建物だ」と話した。
同委員会によると、同神社は元和8(1622)年に当時中津城主だった細川忠興が宇佐神宮の再興に合わせて建立、九州における江戸時代初期の代表的な建造物として、昭和63(1988)年、国の重要文化財に指定を受けた。95年の解体修理の際に屋根の中から葺の部材が発見され、建立後の改変により檜皮葺とされ、以降に銅板葺となった経過が判明したため、現状変更許可を経て現在のこけら葺きに復元された。
神門の高さは11・7㍍、平面積は27・1平方㍍、修理部分の屋根の面積は101・2平方㍍。修理概要は、上層屋根のこけら葺の葺き替えと、古くなって傷んでいる部材などの部分修理。総事業費は7000万円としている。
設計は文化庁の文化財建造物保存技術協会。施工したのは豊建設工業(中津市、梶原雄一代表取締役社長)。同社は、市内留守居町の福沢諭吉旧居をはじめ、県内外の歴史ある木造建築物の改修実績がある。
同社の大丸長昭建築部長によると、長さ364㍉、幅100㍉以上、厚さは2㍉の杉の板を縦方向に15㍉ずつスライドして重ねていく工法で、止めるのは竹釘。杉は製材したものは使えないため、奈良県の吉野杉を工具で手割りした杉の赤身部分のみを約6万枚近くを使用した。「杉板が乾燥しないように進捗状況に合わせて納入してもらうが、供給する側も人手が少なく時間がかかるので調整が難しかった」と話した。
また、こうした技術は、同社も協力会社を含めて技術者や経験者の確保が難しくなってきているという。
宮司の池永さんは「95年に全面的な解体修理をしたが、20年を経過した頃から上層屋根が傷みはじめ、20年11月から国、県、市の補助を受けて修理事業を開始した。この神門は勅使が出入りした門で、宇佐八幡宮の方向を向いている。薦神社から宇佐八幡宮そして国東の八幡奈多宮までの地域が一つの経済圏だった頃の象徴的な建物だ」と話した。
同委員会によると、同神社は元和8(1622)年に当時中津城主だった細川忠興が宇佐神宮の再興に合わせて建立、九州における江戸時代初期の代表的な建造物として、昭和63(1988)年、国の重要文化財に指定を受けた。95年の解体修理の際に屋根の中から葺の部材が発見され、建立後の改変により檜皮葺とされ、以降に銅板葺となった経過が判明したため、現状変更許可を経て現在のこけら葺きに復元された。